SSブログ

刈屋 富士雄さんの講演会 [日記]

昨日、9月定例会が終了しました。最終日には一般会計と国保特別会計の歳入歳出決算認定について反対討論を行いました。やっと一段落です。
今日はその前の日に行われた講演会のお話です。御殿場市立御殿場中学校、御殿場小学校、東小学校の3校のPTA主催の教育講演会が2日に行われました。講師は御殿場小、中学校出身のNHK解説員の刈屋富士雄さんです。
刈屋さんといえば相撲解説やアテネオリンピックの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への懸け橋だ!」や荒川静香選手が金メダルを獲得した時の「トリノの女神は荒川にキスをしました。」が名セリフとして有名です。今回の講演でも貴乃花や朝青龍とのエピソードやオリンピック中継をした時の苦労話などが話されました。
しかし、私が一番心に残ったのは元NHKアナウンサーで野球殿堂入りした志村正順氏のことでした。志村氏は学徒出陣壮行会を中継したアナウンサーですが、本来は和田信賢氏が中継を担当するはずでした。ところが中継当日、和田氏が現れず、急遽中継担当になったのが志村氏でした。志村氏はその大役をこなし、うまく士気高揚する中継が出来たと満足していたそうです。
ところが後日、なぜ和田氏が来なかったのか、その理由を知ることになりました。和田氏は若い未来のある学生を戦争に送り出す放送を担当することが嫌になり無断欠勤をしたのでした。それを知った志村氏は戦争に若者を送り出すことに加担してしまった責任を強く感じることになったのだそうです。その後、志村氏は放送の仕事から離れ、民放からのオファーも断り表に出ることはなかったそうです。
ところが平成17年に特別表彰を受けて野球殿堂入りをすることになり、その祝賀会が行われたそうです。その席には若かりし頃の刈屋さんも出席していたそうです。その祝賀会の席で、久し振りに表舞台に現れた志村氏のスピーチが行われました。その内容は野球殿堂入りした喜びを語るものではなく、学徒出陣壮行会を担当して、若い命を戦場に送り出すことに加担してしまった自らの責任や思いを若いアナウンサーに向けて語る内容だったのだそうです。今で言うメデイアの責任にふれ、平和であることの大切さや、二度と戦争に加担することのないように訴える内容だったそうです。
メキシコオリンピックの閉会式を担当したアナウンサーが最後に「4年後もオリンピックが開催される平和な世界でありますように。」という内容のコメントをしたそうです。このコメントには「大げさだ。」という批判もあったそうです。
ところが、その後のモスクワはソ連のアフガン侵攻に抗議してアメリカ、日本など西側諸国のボイコット、その後のロサンゼルスは東欧圏の報復ボイコット、その後のソウルも北朝鮮のボイコットと続き、政治的な影が反映されなくなったのはバルセロナからでした。刈屋さんは入局した時にオリンピックの中継がしたいと言うと、先輩から「オリンピックは4年経ったら開かれるものではないんだよ。」と教えられたそうですが、それが事実として示された歴史であったと振り返りました。そして、オリンピックは多くの人々の開催させたいという思いと、なんといっても平和であってこその祭典だと結びました。
BC527B7E-6AB6-4BCD-A0FB-9F119B27E112.jpeg
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

議会もあと2日最後の原里バラ祭り ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。